やちよ絵手紙の森美術館

ギャラリー

私達の作品を、一部ですがご紹介しております。

『お兄ちゃんのズック』

あれは確か、四歳頃のことだった。
お兄ちゃんは青い色のズックがとてもお気に入りで
どこに行くのも、青いズックしか履かなかった。
泥んこ遊びで汚れたから洗おうとしても
嫌だと言ってきかなかった。
デパートに行くのだから他のクツに
履き代えてって頼んでも決して、ウンと言わない子だった。
いつだったか、もう夕暮れに
砂場で誰かに、青いズックを隠された時
真っ暗になるまで砂を掘り
見つかるまで家に帰ろうとはしなかった。
でも、妹が産まれ、お母さんと一緒に帰ってきた妹に
「はい、僕の妹にプレゼントだよ」
と言って差し出したのは、お兄ちゃんが
あれほどまで大切にしていた
あの、青いズックだったのを
覚えています。

のんびりでも、ゆっくりでも
  たとい誰かに追い越されても
  君は君の一歩を、歩いていけばいいのです。



『最後のお小遣い』

永い年月だったように思う。
いや、つい昨日のようにも思える。
幼稚園、小学校、中学、そして高校大学と
二十二年間の年月が今、走馬灯のように思い出される。
なんという事もない、ごく普通の暮らしだったから、
これといって贅沢な物一つ買ってはやれなかった。
ただ幸せなことに、大きな病気一つせず
健康に育ってくれたから、それだけは母さん、
自慢の一つだったかもしれない。
毎月二十五日、お父さんの給料日の夜
夕御飯の前に手渡される、僅かのお小遣いをとても楽しみにしてくれた。
そして三月二十五日、いよいよ社会人として巣立つ日
「もう、お小遣いはないんだよなぁ」
と、寂しげに言ってたよね。
でも、ちゃんとお小遣い袋はテーブルの上に置いてあった。
その時、君の嬉しそうな顔。
「お父さん、お母さんどうもありがとう」なんて
真面目くさい顔で言いながら、中を覗いたとたん
急に泣き顔になって、ポロポロと涙をこぼしはじめた。
(お父さんが気を利かせて、少し多めに入れてくれたのだった)
「これは一生使えない小遣いだなぁ・・・・」
くしゃくしゃの顔で、感謝の気持ちを伝えてくれた君に
こっちのほうこそ「ありがとう」と伝えたい。
「立派に育ってくれて、私たちの子供でいてくれてありがとう」と。

故郷

私が青春時代を過ごした市(まち)は太古のロマン眠る里(西都原)でした。

「野菜の町、新富町」に父と母は暮らす。



『わたしは今朝』

午前五時四十分、眠い目をこすりながら
私の一日は始まりだす。
隣りの夫を起こさぬように、
そっと布団を抜け出し階下へ下りていく。
シーンと静まりかえった台所。
・・・・ここが、私の唯一の部屋。
・・・・ここが、私に一番似合う場所。
コーヒーをセットしながら出窓の観葉植物たちに挨拶をする。
「おはよう、もう起きてた?」
「あら、今日も元気そうね」
「今日もがんばろう」
たわいもない独り言を植物達と交わしてゆく。
何をばかげた事を?と苦笑する夫には
判らないだろうけど、私にはちゃんと判る。
ちゃんと応えてくれるから不思議。
ほら、今朝もオリヅルランの葉先には朝の陽射しに輝いた
小さな真珠がいっぱい乗っかっている。
時が経てばいつの間にか消えゆく朝露も
今朝、生まれたばかりだ。
そう、私もこんなふうに生きればいいのよ。
こんなふうに一日を生きればいいのよと、いつも思う。
植物たちに教えられる事もたくさんある。
自然に逆らわずそのまま
そのまんま生きればいいのにと、いつも思う。


『誰かに守られている幸福』

ある朝、忘れものをした娘を追いかけて
慌てて家を飛び出した。
あと十分、娘の乗る電車に間に合う。
アクセルは自然に強くなり
信号は赤の直前で通り過ぎた。
あと一つ、大きなカーブを曲がれば駅のロータリー
と、頭をよぎったその瞬間、
左座席に置いたバックがどさっ!っと落ちて
ファイルに挟んだ写真が足元に転がった。
田舎で暮らす年老いた両親の写真だった。
私はいつも新しい写真が送られて来ると
入れ替えてはバッグの中に持ち歩いている。
(いけないよ。そんなにスピード出しちゃ)
写真の中から
母の声が聞こえたような気がした。
父が怒ったような顔をしていた。
それから私はハンドルの手を緩め、ゆっくりと
ロータリーに入った。
「あっ!お母さん気が付いてくれたの?」
娘の安心したような笑顔がそこに待ち受けていた。
私は帰りの車の中でとても
しあわせな気持ちになっていた。
目には見えないけれど、何か大きな温かいものに
しっかりと守られているような気がしてならなかった。